山根明と柳川次郎組長の関係は?森田組と柳川組は山口組系列?

山根明 柳川次郎

山根明氏はかつてヤクザ「森田組」と関係をもっていたことが、「スッキリ」で明かされましたが、その他「柳川組」とも関係があり元組長である柳川次郎氏とも関係があったようです。

今回は山根明氏と柳川次郎組長にどのような関係性があったのか、そして森田組柳川組に関係はあったのかという2点についてお伝え致します!

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山根明氏と柳川次郎組長の関係は?

山根明氏は元々韓国人であり、戦後に母と共に韓国へと戻りました。

しかしながら日本で生き別れた父が恋しくなり、単身で日本へと渡りました。

 

山根明氏は大阪で喧嘩をしている時に仲裁に入ってくれた人から森田組の元組長を紹介され、関係を持つこととなったのです。

 

また、山根明氏が20歳になる手前くらいに大阪府の天王寺の公園で大人2人を相手に喧嘩をしていたようです。

そこにたまたま柳川組の柳川次郎組長が通りかかり、「大人が子供相手に2対1で喧嘩するんか!」と仲裁に入りました。

その後ボクシング連盟の奈良の組織作りに関わるようになった際、柳川組の関係者が携わっていることに気づいた山根明氏は、柳川次郎組長に頼みんで柳川組の関係者を辞めさせたとのことです。

 

ヤクザはヤクザなりにポリシーを持っているようですね。

つまり山根明氏は柳川次郎組長に喧嘩の仲裁に入ってもらったことをきっかけ、に柳川組と関係を持ち始めることになったわけです!

 

柳川組と柳川次郎組長について

柳川組は大阪に本部を置いていたヤクザであり、三代目山口組の二次団体として誕生しました。

通称”殺しの軍団”と呼ばれ、二次団体でありながら1道2府10県に進出するほどに勢力を拡大。

 

柳川次郎氏は柳川組の初代組長であり、元々は山口組の組員として活動をしていました。

山口組の中でも出世をしていく中で、柳川組の組長に就任したのです。

晩年にはヤクザから足を洗い、日本IBFというかつて存在していた日本プロボクシングの団体の設立に携わり、自らコミッショナーを務めます。

そして1991年に69歳でこの世を去りました。

 

森田組と柳川組は山口組の系列?

森田組と柳川組は共に山口組のグループに属しているので、同じ系列のヤクザです。

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