財前五郎の最後の遺書(手紙)はドラマ毎に全く違う?岡田版はどうなる?

ネタバレ全開のタイトルですみません。ということで白い巨塔を最後まで見てから読み進めることをおすすめします。

白い巨塔は財前五郎の遺書で締めくくられます。あれを聞いた後は余韻が半端じゃないですよね。

そして、財前五郎の遺書はドラマ毎に内容や読まれるまでの経緯が微妙に違うんです。

なので財前五郎の遺書について、かつて放送された時の物との違いなどを比較しながら色々考察したいと思います。

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財前五郎の遺書全文

なお、最終回の名シーンのセリフは下記の記事に記載しています。

参考:白い巨塔の最後のセリフまとめ!2003年唐沢版&2019年岡田版では全然違う?

①田宮版

君の忠告に耳を貸さず、俗事に囚われて自身の内蔵を冒している癌に気付かず、早期発見を逸し手術不能の癌で死ぬことを、癌治療の第一線にあるものとして、今深く恥じている。
それ以上に医学者としての道を踏み外していたことが恥ずかしくてならん。
しかし、君という友人のおかげで死に臨んでこうした反省が出来たことは、せめてもの喜びだ。
あの美しい薔薇は、病床を慰めてくれた。母を宜しくと伝えてください。
僕の遺体は大河内先生に解剖をお願いしてください。
後進の教材として遺体を役立てていただくことが、医師の道を踏み間違えていた僕の教授としてできるただ1つのことです。
君の友情を、改めて感謝します。

田宮二郎版の白い巨塔における、財前五郎が里見脩二へと宛てた遺書です。

財前五郎が裁判の原因となった手術に於いての見解はなく、里見脩二への感謝と反省の言葉が書き連ねてあります。

これは田宮版が1978年に放送されたことによる時代背景も関係しているでしょう。恐らく当時は終末期医療というものがスタンダードではなかったことや、そこに至るまでの経緯が若干違うことがあるでしょう。

 

②唐沢版

里見へ
この手紙をもって、僕の医師としての最後の仕事とする。
まず、僕の病態を解明するために、大河内教授に病理解剖をお願いしたい。
以下に、癌治療についての愚見を述べる。
癌の根治を考える際、第一選択はあくまで手術であるという考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、発見した時点で転移や播種をきたした進行症例がしばしば見受けられる。
その場合には、抗癌剤を含む全身治療が必要となるが、残念ながら、未だ満足のいく成果には至っていない。
これからの癌治療の飛躍は、手術以外の治療法の発展にかかっている。
僕は、君がその一翼を担える数少ない医師であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
君には癌治療の発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、癌による死が、この世からなくなることを信じている。
ひいては、僕の屍を病理解剖の後、君の研究材料の一石として役立てて欲しい。
屍は生ける師なり。
なお、自ら癌治療の第一線にある者が早期発見できず、手術不能の癌で死すことを、心より恥じる。

財前五郎

田宮版と同じく「無念」であることを感じ取ることができる文面です。

里見への感謝というよりは、癌治療に対する見解を述べるという点が強調されています。治療においては外科手術での根治が最も良い手段だと考えるものの、手術以外の治療法にも目を向けるべきだろうと考えています。

上告書を残していたので裁判の結果には異議を唱えたい言う思いはあったものの、執刀した佐々木庸平に対して他にできることがあったのではないかと

 

③岡田版

自らの肢体をもって、癌の早期発見並びに、進行がんの治療の一石として役立たせていただきたい。

膵臓癌は現在もなお難治性癌であるが、病態の解明がその克服の端緒に繋がることを信じる。

私の場合はがんに伴う血栓症が致命的な合併症を起こしたが、逆にこれを標的として早期診断や治療に繋げることも不可能ではないと愚考する。

しかし、そうした治療開発を里見先生とで自らの手で成し得なかったのは痛恨であり、自ら癌治療に第一線にあるものが、早期発見できず手術不能の癌で死すことを恥じる。

浪速大学病院第一外科の名誉を傷つけてしまったことを、深くお詫び申し上げます。

里見、こうして虚しく死を待つだけになっても、君と共に病に苦しむ人々を治療し、その生命を紡ぐ医師として、人生を全うできたこと、誇りに思う。

里見、ありがとう・・・

いつかまた、きっと。

財前五郎

唐沢版の遺書を小さくまとめてきた感じでしょうか。

里見への個人的な感謝があるので、田宮版と唐沢版をミックスさせてまとめてきた印象です。

今回も「手術不能の癌で死すことを恥じる」旨の文言は入っていましたね。

 

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財前五郎が死に至るまでの経緯の違い

①財前五郎の癌が違う

原作及び田宮版では胃癌財前版では肺癌でした。そして岡田版は膵臓癌

これは原作発表時や田宮版が放送された時代背景の影響もありますが、唐沢版が放送された2003年版では医療の進歩や死因の変化により、肺癌へと変更されたとされています。

2019年の岡田版では、医療の進歩に伴い未だ難治性である膵臓癌を死因としたのではないでしょうか。

ただ、胃癌か肺癌かは遺書に関してあまり関係がないテーマではあります。

 

②財前五郎の心境の見せ方の違い

田宮版では「医学者として道を踏み外した」と明確に語っていますが、財前版ではそうではありませんでした。

ただし、佐々木庸平の幻覚を見たり、死の間際に気遣う素振りを見せていたことから「佐々木庸平に対して後ろめたい気持ちがあった」ことは推測されます。

助かる見込みのない佐々木庸平に対しては外科手術ではなく、他の手段を講じたほうが良かったのではないか。そんな思いを抱いていたのは間違いないでしょう。

それを明確に描いたのが田宮版言動や行動などから視聴者に感じ取らせる手法を取ったのが唐沢版かなと思います。この点は遺書に反映されていますよね。

岡田版は医療を取り巻く現場の変化なのか、ガッツリと診断結果を申告しています。最初は隠そうとしていましたけど。

 

③テーマの違い

田宮版では財前は自分の症状を明確に知らせてくれる人がいませんでした。里見脩二と会話をする中で確信に至ったとも言えますが。

唐沢版では、里見脩二が「ステージ4の肺癌で余命3ヶ月」という事実をはっきりと伝えました。

  • 近代医学では病状を誤魔化すのは良くない?
  • 里見脩二が考える医療についての価値観

という2つのテーマがあるため、こういった違いを出してきたのでしょう。特に里見脩二の医療に対する価値観は非常に大きいものだと思います。なぜなら唐沢版の里見脩二は裁判でこう語りました。

しかし、心の準備のないひと月と、覚悟の上で過ごす一年。この違いは患者の人生にとって、あまりに大きいのではないかと、私には思われます。

これで財前五郎に対して明確に病状を伝えないとなると、言ってることとやってることが違ってきます。そのため里見脩二は財前五郎にはっきりと病状を伝えることになりました。

それが「これからの癌治療の飛躍は、手術以外の治療法の発展にかかっている。」という遺書の一文にも繋がっていると言えるでしょう。

 

財前五郎の遺書のまとめ

田宮版は里見への感謝と医者としてのあり方の変化が主題

唐沢版では癌治療に関する知見の変化が主題

岡田版では…なんだろう、里見への感謝でしょうか。

こんな違いを財前五郎の遺書から読み取ることができるのかなと。岡田版では尖らず小さくまとめてきたのかなと思います。

みなさんはどう思いますか?それでは。

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