白い巨塔を見ていると「里見」にイラッとすることがあるかもしれません。
割と融通が効かないので「うざい」と思う場面もあるでしょう。
そんな里見を見て偽善者だと言いたくなるのも分かりますし、そもそも里見は善人ではないと思います。
ということで、里見をうざいと思う3つの理由をメインに深掘りしていきたいと思います!
白い巨塔の里見をうざいと感じる理由
①偽善者だと思ってしまう振る舞い
そもそも偽善者とはなにか。
偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることや自分は利他的だと主張しておきながら、実際は利己的な行動を取ることをいう。 また、これを行う者は偽善者とよばれる。
引用:Wikipedia
上っ面では善人ぶっているが、行動は利己的であること。つまり口先だけで善人ぶっている人間ということですね。
里見を善人として受け取る人は多いですが、僕は里見がそもそも善人だとは思いません。
ただ自分の信念に基づいてひたすらに真っ直ぐなだけの1人の医者です。2003年の江口洋介さんが演じる里見はそれが顕著に現れています。
②里見を理解できない
財前は感情をむき出しにするシーンがあり、遠く離れた存在でありつつも1人の人間であることが伺えます。
里見は自分の掲げる信念についてひたすらに真っ直ぐです。
感情的になることもありません。里見の行動は信念に基づいてひたすらにまっすぐ。
里見は人間と言うよりは仙人に近い存在とも言えます。
里見に診察してもらいたいけど、里見の生き様を理解するのはとても難しい。あそこまで色々なものを顧みずに、信念に真っ直ぐな男を理解するのは無理でしょう。
理解出来ない物に対しては警戒心を抱いたり、嫌悪感を抱くものですから、うざいと思ってしまうのは仕方がないことです。
③融通が効かない
「患者(鵜飼が誤診した人)の緊急オペの詳細を東に話してしまう。」
「大河内と財前の仲を取り持とうとすらしない。」
などなど、割と里見は融通が効きません。それが里見という男ですが。
鵜飼が誤診して後処理が面倒なオペの詳細を、里見はなんだかんだで東に喋ってしまいました。その結果財前は査問にかけられそうになります。
財前の今後の進退に関わることであり、そこは黙っておけよ~と言いたくなるシーンではあります。
大河内と財前はそりが合わないため、間を取り持ってくれるよう里見と取り引き?をします。
結局里見は却下するんですが、少し間に入るくらいはいいんじゃないかな~と思ったり。
白い巨塔の里見は偽善者と感じるのはなぜ?
里見は偽善者かもしれません。里見ならきっとこう答えるでしょう。
「俺は偽善者かもしれない。」
恐らく里見は偽善者かもしれないと、自分でも分かっているはずです。だから視聴者が里見を偽善者だと感じるのは、なんらおかしいことではないんですね。
それでも患者と真摯に向き合いたいと言う気持ちに嘘偽りはありません。
「俺は悩み続けることで医者でいられるのかもしれない。」
と財前に吐露したこともあります。里見は自分のことを善人だとは思っていないでしょう。ただ自分の信念に従って、自分の足で歩き続ける男です。
2003年の江口洋介さんが演じる里見は、1978年の山本學さんが演じる里見よりも融通が効かない男になっていますが、より自分の信念を決して曲げない男として描かれました。1978年版は財前の教授就任をちゃんと祝っていますし。
ただし里見という男は自分の保身など一切考えず、たとえ偽善だとしても最後まで医者としての信念を曲げずに行動し続けるでしょう。
自分がやっていることは正しいか分からない。ただ、正しいと思ったことをひたすら選択し続けるんです。