大御所の女優である大橋恵子さん。
過去の逃避行の真相の鍵を握るのが『河村季里』さん。
かつて熱愛関係にあったとされるその男性は一体何者なのか?
逃避行について深掘りしていきます!
高橋恵子の逃避行とは?
高橋恵子さんは女優として活躍していたわけですが、突如として行方をくらましたことがあるんです。
その過去についてお話したいと思います。
①関根恵子としての鮮烈なデビュー
高橋恵子さんは結婚される前は『関根恵子』という名前で仕事をされていました。
これは関根恵子時代のお話です。
高橋恵子さんが女優としてデビューしたのは15歳の頃。
『高校生ブルース』という作品がデビュー作となります。
高校生ブルースでは、妊娠する高校生という役を演じることになったのですが、当時はまだ規制が緩かったので、ヌードになったりスケスケの衣装を着たりと、今では考えられない鮮烈なデビューとなります。
当時でもこれはかなり過激な路線であり、多くの記者から様々なインタビューを受けました。
「初体験はしたんですか?」という質問に対しては「小学6年生の時に終えました。」と正直に答えていたりしていると、雑誌の記事に『関根恵子は本当に不良少女だった!』という見出しを付けられ、世間にも『関根恵子=不良少女』のイメージが定着していきます。
さらに『おさな妻』とう作品にも出演したことで、不良少女のイメージが確固たるものとなっていきました。
高橋恵子さんの本意ではなかったものの、世間が作り上げていくイメージ通りにならなければ、という期待に応えようとしていくうちに、どんどん本来の自分と世間が作り上げた高橋恵子像が離れていくことになります。
②112日あいだに及ぶ失踪
1977年、女優としても軌道には乗っていたものの過度のストレスにより、睡眠薬を使い自ら命を絶とうとしたことがあります。
かなり精神的に追い詰められていたのか、一度女優業を離れて岐阜で療養生活を送ります。
デビューから7年後のことでした。
約2年間を岐阜での療養に費やし、1979年の初夏にはなんとか復帰。同年7月21日公演開始の『ドラキュラ』に出演。
・・・
出演する予定だったのですが、公演前日の7月20日に突如姿をくらましてしまいます。
タイやトルコに失踪していたのですが、その期間はなんと112日間。
家族から捜索願いを出されたこともあり、海外までレポーターが追いかけたりと当時はかなりの騒ぎになりました。
多くのストレスから演技が嫌になってしまったと思われていますが、実は他に理由があったようです。
高橋恵子の逃避行は河村季里との熱愛が関係?
理由については「演じることが嫌になったというわけではないんですけども…ある事情から」と多くを語ろうとしなかったが、司会の阿川佐和子から「恋愛絡み?」と聞かれると「そうですね」と認め、「舞台を辞めることなんか、もってのほかですからね」と自殺を覚悟しての降板だったという。
引用:マイナビニュース
逃避行には恋愛が絡んでいるとのこと。
では一体誰との恋愛なのでしょうか。それは河村季里(かわむら きり)という作家が絡んでいます。
河村季里さんは日本の作家です。どうやって出会ったのか分かりませんが、高橋恵子さんが岐阜で療養中の際も一緒に暮らしていたとのこと。
精神的に追い詰められていた高橋恵子さんの心の支えであったとも言われていますが…
嫉妬心に駆られ高橋恵子さんに寄り添い、海外への逃避行を扇動したとも言われています。
また、高橋恵子さんが出演予定だった演劇『ドラキュラ』の共演者との浮気に怒り、河村季里さんが高橋恵子さんの頭を丸坊主にしてしまったという話もあります。
何が真相なのか分かりませんが、河村季里さんがいなければ海外への逃避行はなかったということです。
日本に帰国後は、高橋恵子さんと河村季里さんの関係は続くこと無く終焉を迎えます。
そして今となっては河村季里さんは表舞台から姿を消し、消息は公には不明の状態となっています。