イケメン俳優の大東駿介さん。
小学校の頃はモテモテで、バレンタインのチョコを20個も受け取ったとか。
しかし、その裏では実は両親とは生き別れています。中学生にして一人暮らしを経験したりと、壮絶な生い立ちなんです。
特に兄と慕う従兄弟にはかなり世話になった様子。大東駿介さんは一人っ子ですが、従兄弟のことを本当の兄のように思っているそうです。
今回は、大東駿介さんの壮絶な生い立ちををお伝えしていきます。
Contents
大東駿介は両親と生き別れる壮絶な生い立ち
①幼い時に母親と父親が蒸発
大東駿介さんは中学校の時から両親がいません。
父親が小学生(8歳か9歳の頃)の時に蒸発し、母親も中学生の時に蒸発。
両親がいなくなってしまった大東駿介さんは、中学生にもかかわらず一人暮らしをしていた時期があります。
アニメや漫画だと学生の一人暮らしはあるあるですが、現実だとそうもいきません。
ずっとひとり暮らしをしていたわけではなく、親戚の家に引き取られて暮らしていました。
②父親が見つかるも‥
父親は大東駿介さんが30歳手前になった時に見つかったのですが、半ば捨てられたような感情に近いものがあり、結局会わないという決断をしました。
その後、会ってみようかと思ったときにはすでに亡くなられていたそうです。
大東駿介の両親がいない中学・高校時代
大東駿介の中学時代
小学生の時は20個もバレンタインのチョコをもらうほどモテまくっていました。
しかし、中学時代からは超人見知りになってしまいます。
通っていた中学は『堺市立旭中学校』。
中学時代は人見知りながら陸上部で短距離走の選手として活動していました。
人見知りが激しかった大東駿介の高校時代
大東駿介さんが通っていた高校は『府立 堺工科高等学校』です。
大東駿介さんは当時を振り返り、自分のことを対人恐怖症のレベルの超人見知りだったと語ります。
「眼鏡をかけてみたら『人ってこんな目で俺のこと見てるんや』と思って。そこからめちゃくちゃ怖くなって」と眼鏡やコンタクトをつけずに過ごし、手汗もとまらなかった
引用:モデルプレス
視力が悪いのに裸眼で過ごすというかなりトンデモない状況ですが、それほどまでに対人恐怖症がひどかったということでしょう。
しかしながら、仮面ライダーに憧れを持っていたこともあり、高校時代は役者の道に進むことを考えていました。
大東駿介は印象に残る生徒だった?
大東駿介さんが2009年に放送されたおしゃれイズムに出演した時のこと。
担任だった中野先生が、卒業アルバムの中から大東駿介さんの写真を見つけ出します。
しかし、顔が見切れていて顔の上半分が見えません。
しかし、
「この歯は大東や。」
と、歯だけで大東駿介さんを判別することができました。
歯が相当印象に残る生徒だったことが伺えます。
大東駿介が兄と慕う従兄弟との同居生活
大東駿介さんは高校を卒業して、芸能界に飛び込むために大阪から上京しました。
大東駿介さんは上京後に、兄と慕う従兄弟と一時期同居をしていました。
高校卒業の際も深く相談になっていたそうで、非常に仲が良いのです。
大東駿介さんは誰にも相談せず、役者の道を目指すため上京しました。
しかし一人暮らしはきつかったのか、従兄弟の家に住むことになったんですね。
そこで、対人恐怖症を治すべく、人混みの激しい原宿のカフェで1年間バイトをします。
なぜカフェかと言うと、
- 一番苦手な相手が若い女の子
- 一番苦手な場所がカフェ
だから。
バイトをこなすうちに人と接するのが面白くなり、対人恐怖症を克服します。
そのかいもあってか、上京から1年後にオーディションに合格したのです。
ちなみに、バイト先の店長はジュリアンというオーストラリア人だったそうで、対人恐怖症の改善に一役買いました。
ただ、それだけではなく対人恐怖症の克服には、同居していた従兄弟の存在もあったことは間違いないでしょう。