俳優の中井貴一さんの母・益子さんは一体どのような人だったのか。
実は大船にあった撮影所の近くの月ヶ瀬という食堂の看板娘だったんです!
ということで、今回は中井貴一さんの母である益子さんがどんな人だったのか、ご紹介していきます。
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中井貴一の父は大俳優の佐田啓二
俳優である中井貴一さんの父は1940~1960年代に活躍した大俳優の佐田啓二さん。
しかしながら佐田啓二さんは1964年に事故で亡くなられました。これは中井貴一さんが生まれてから3年後の出来事。
そのため中井貴一さんは母の益子さんに女で1つで育てられることになりました。
【写真付き】中井貴一の母・益子とは
中井貴一の母・益子は食堂の娘だった
中井は「マドンナというか食堂の娘です」
引用:ライブドアニュース
中井貴一さんの母・益子さんは大船にある月ヶ瀬という食堂の看板娘だったんです。
また、当時は撮影所が大船にあったことから撮影のスタッフにとってもマドンナ的存在。
映画監督の小津安二郎さんも益子さんのことをかなり可愛がっており、現代だったら週刊誌に載っていたと語る中井貴一さん。
原節子さんという女優の髪型も、益子さんの髪型に影響されて小津安二郎監督が指定したこともあるんです。
今はもう大船の撮影所も食堂の月ヶ瀬も存在していません。
中井貴一の母・益子と父・佐田啓二の馴れ初め
母も京都出、父も京都出。(大船撮影所で)京都弁が話せるのが強烈に嬉しかったんでしょうね。母に引き寄せられるように食堂に行くんです
引用:ライブドアニュース
実は佐田啓二さんも益子さんも京都出身なんです。
大船は埼玉県ですから、京都弁で話せるという共通点は非常に大きかったのかもしれません。関東で京都弁を喋る人はほとんどいませんし、京都弁は関西弁とも異なりますから、まさしく2人だけの共通点だったわけです。
佐田啓二さんも益子さんがいる食堂に通っていたようですが、小津安二郎監督に見つからないようにうまいことやっていたようです。
監督が来る前に食堂に行き、監督が来たら勝手口から出ていったりと。
こうして見ると、お互いが会って話したときから惹かれ合っていたというのがとても自然な流れのようです。
佐田啓二が小津先生のところに『益子さんと結婚したい』ってことを言った。すると小津先生は『いいよ、もちろんだよ』って、そこから逆に小津先生と親父が親子みたいになっちゃった
引用:ライブドアニュース
小津安二郎監督は益子さんのことを気に入っていましたから、結婚の報告をするのは勇気が必要だったかと思います。
しかし言わないままでいるわけにもいかず、佐田啓二さんが監督に直接報告。そのままスムーズに受け入れられたようです。
もしかしたら小津安二郎監督は益子さんに恋をしていたかもしれないとも言われており、この返答には器の広さが表れているのかも。
ちなみに、小津安二郎監督の最期を看取ったのは佐田啓二さん。2人の信頼関係があったからこそ、結婚を快諾することができたというのもしっくりきます。
中井貴一さんが語る母・益子について
本当に厳しい母でした。
引用:スポーツ報知
父が幼い頃に無くなったこともあり、父の分もということで厳しくしつけていたのではないかと語る中井貴一さん。
食堂の看板娘という6文字からは想像し難いですが、姉と2人で叩かれないようにいつも気を張っていたそうです。
中井貴一の母・益子の現在は?
中井貴一さんの母・益子さんは2016年にすでに亡くなられています。享年87歳でした。
約50年の時を経て夫である佐田啓二さんの元に旅立たれています。