雅子様の若い頃が綺麗!写真と共に外交官時代の仕事を振り返る!

雅子様と言えば若い頃は外交官で仕事をしていたキャリアウーマン。

今でも非常にお綺麗ですが、若い頃も非常に綺麗でした。

今回は雅子様の

  • 若い頃の写真
  • 若い頃の外交官としての仕事

を主軸とした情報をお届け致します。

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雅子様の若い頃①大学生時代

雅子様の若い頃

雅子様はハーバード大学卒業。日本のトップエリートどころではなく、世界のトップエリート大学を卒業されていたのです。

ハーバード大学卒業後にすぐさま外務省に入省したわけではなく、帰国後に東京大学へと入学します。

その後東京大学を中退し外務省へ入省。そのため最終学歴はハーバード大学卒となります。

  • なぜ帰国後に東大へ入学したのか
  • なぜ東大を中退したのか

という謎が残るので、今回はその2点について触れていきます。

 

雅子様が東大へ入学した理由

ハーバード大学を卒業した後に東大へ入学した理由は諸説あります。

その中でも「ハーバード大学在学中は外交官を目指していなかった」という説が最も有力です。

雅子様はアメリカに残ることを考えておらず、日本へ帰国する意思がありました。

当時の日本では国内の大学を卒業していた方が就職に有利、という説もあります。また、東大は学閥もありますので、将来のことを考えての東大入学だったのかもしれません。

 

雅子様が東大を中退した理由

雅子様が東大を中退した理由は外務省への入省が決まったからだと思われます。

そもそも、在学中に司法試験に合格したり、官僚になるための試験に合格した場合、大学を中退することは珍しくはありません。

なので、外務省に入省が決まったことで東大を中退したことは自然な流れなのです。

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雅子様の若い頃②外交官で仕事をしていた時代

雅子様が外交官を目指した理由

雅子様の若い頃

22歳の雅子様

高校1年生の時に父の仕事でアメリカに行くことがあり、カルチャーショックを受けます。そのカルチャーショックを面白いと思い、なにか国際的な分野で仕事をしたいと考えました。

その末に選択したのが外交官という仕事です。

  • 昔から父が外交官であったこと
  • 中学の頃から女性の外務省入りが始まる

ことがあり、昔から外交官という仕事が漠然と頭に入っていたのです。

 

雅子様の外務省入省後

雅子様の若い頃

1991年にアメリカのベーカー国務長官が来日した際には、通訳を務められこれまでの経験を活かしてご活躍されました。

中央省庁は残業が鬼のように多いことで有名ですが、雅子様が外交官であった時代も相当な激務であり、週の残業時間が50時間を超えることもあったそうです。

当時は今ほど働き方について厳しい時代ではありませんでしたが、それでも過酷な労働環境。

しかしながら、雅子様はそういった環境下でもやりがいと使命を持って仕事に取り組まれていました。

 

【小ネタ】雅子様の外交官時代のランチ

外務省時代にランチで利用していたのはレストラン『松本楼』。外務省のすぐ近くにある日比谷公園内にあるレストランです。

お気に入りのメニューはハヤシライスだと番組で紹介されていましたが、「ハヤシライスを食べている光景を見たことがある」と店員が証言していただけなので、本当にお気に入りだったのかどうかは分かりません。

 

雅子様の若い頃③外交官を退任する時

今上天皇との出会い

雅子様の若い頃

今上天皇との出会いは雅子様が外務省に入省する前のことでした。

1986年10月にスペインの国王の長女である、エレナ王女が来日された際のパーティーで2人は出会いました。

雅子様一家がパーティーに招かれており、あくまでも関係者として招かれたという体だったのですが、本当は今上天皇(徳仁様)のお妃候補の選定の場であったようです。

もちろん雅子様はそんなこととは知らなかったのですが、今上天皇は雅子様に徐々に惹かれていくこととなりました。

 

雅子様と今上天皇の関係

雅子様の若い頃

出会ってから何度かの逢瀬を重ねる雅子様と今上天皇。

当時は雅子様がお妃候補として報道が過熱。今以上にマスコミの追っかけも激しく、雅子様のもとには多くのマスコミが押しかけました。

雅子様ご自信もマスコミに疲弊しており、更には宮内庁の中にも雅子様とのご成婚を反対する意見がありました。

その大きな原因は雅子様の母方の祖父がチッソ株式会社の社長であったからです。チッソ株式会社は水俣病の元凶となった会社。

世間体を考えると問題となるであろうことが予想されます。

 

そんなこんなで、雅子様と今上天皇の関係は破局を迎えたと思われました。雅子様も「外交官を辞めるつもりはない」旨の発言をしたことから、雅子様と今上天皇のご成婚はないものだと考えられました。

 

今上天皇のプロポーズ

雅子様の若い頃

今上天皇は雅子様にベタぼれしており、1992年8月に今上天皇は雅子様にプロポーズをします。

雅子様は外交官としての仕事を続けたいと思っていたことから、

「外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも国を思う気持ちに変わりはないはずです。」

という今上天皇のお言葉に揺れ動く雅子様。

 

悩みに悩んでいる雅子様に、今上天皇はもう一言お声をかけます。

「皇室に入られることにはいろいろ不安もおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします」

この言葉につき動かされたのか、ついには今上天皇と雅子様はご成婚されることになります。

雅子様としては「皇室に入っても外交という職務に携わることはできる」と考えていたことも、1つの

巷では『皇室への転職』とも表現されることがありますね。

 

まとめ:雅子様の若い頃

雅子様は当時では珍しいバリバリのキャリアウーマン。

若い方にとっては、雅子様が外交官であったということを知らない方も少なくはないでしょう。

外交官という仕事に誇りを持っていただけに、皇室へ嫁ぐことには大きな葛藤があったものと思われます。

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