首里城と言えば真っ赤に染まる外壁や、赤瓦が特徴的ですが本来の首里城は赤くなかったんです。
本当は黒色を貴重とした日本でよく見られる神社のような色合いだったとか。
1945年に焼失した後に再建された首里城はなぜ赤くなったのか、そしてなぜ黒色だったことが判明したのか。
その謎に迫ります。
首里城は4回再建されている
本来の首里城というと何を指すのかが問題ですが、当記事では第二次大戦で消失前の首里城と定義します。(建造当初は瓦ではなく板葺き屋根だった。)
首里城はこれまでに4回焼失しています
- 1453年
- 1660年
- 1709年
- 1945年
1453年は「志魯(しろ)・布里(ふり)の乱」という王位を巡る争いの末に首里城が焼失。
1660年は火災により焼失(詳細不明)。
1709年も火災による焼失(詳細不明)。
1945年はアメリカ海軍の艦艇による砲撃により焼失。
過去何度も焼失しては不死鳥の如く蘇っているのです。
再建前の首里城は赤くない?
首里城といえば真っ赤な建築物というイメージが強いですが、1945年に焼失する前の首里城は黒かったことが判明しました。
それは2014年とつい最近のことなのですが、アメリカ軍の戦闘機が装着していたカメラが焼失前の首里城の姿を捉えていたのです。
そこで判明したのは、第二次大戦で焼失前の首里城の屋根瓦は黒かったということです。
再建された首里城はなぜ赤くなったのか?
燃えてしまった首里城は、
ファンタジーの首里城なんですよ。
朱色で中国のお城みたいって、
今もテレビで言われていますし、
そんかイメージを付けてしまいました。
本当は朱色の首里城ではなく、屋根は黒色で木の色も着色はされていません。
再建開始の頃にはカラーの資料も見付かっておらず 続く pic.twitter.com/n1hXULxiMp— 小栗ヒロ@チーム沖縄 (@zanpa96) October 30, 2019
本当は赤くない首里城がなぜ赤色を纏って再建されたのか。それは、首里城が元々何色か分からなかったからです。
1945年に消失した後、首里城の再建が始まるのですが「首里城は赤かった」という意見と「首里城は黒かった」という意見に分かれたとか。
そんな馬鹿な、という事態ですが当時の色が分からなかったこともあり、首里城は本来の黒色ではなく赤色で再建された理由の1つと言えるでしょう。
1945年に焼失前の首里城は
- 赤瓦に着色をして黒色にしていた
- 木の部分も朱色に着色はしていなかった
という説もあり、我々の記憶に根付いている赤い首里城は本来の姿ではなかった可能性が高いのです。
首里城は再建後本来の黒色なのか赤色なのか
首里城は2000年に世界遺産登録された首里城跡に立つ、沖縄にとって極めて重要なシンボルだと認識している。県民に心からお見舞い申し上げる。再建に向けては政府として全力で取り組んでいく。しっかり対応する
引用:琉球新報
2019年10月31日に首里城の正殿が焼失。菅官房長官が政府として再建に取り組んでいくことを表明しました。
今回焼失した正殿は世界遺産ではありませんが、(世界遺産に登録されたのは首里城跡であり、再建された正殿や城壁は世界遺産に登録されていない)今後時間はかかったとしても再建される可能性は非常に高いです。
ここで気になるのが、本来の黒色の正殿として再建されるのか、5回目の焼失前の赤い首里城として再建されるのかということ。
見た目鮮やかな赤い首里城が目を惹きますが、本来の首里城を再現することを最優先すれば黒色で再現するのが相応しいのかもしれません。
「本当の色である黒色で再建してほしい」という声も少なくはなく、今後は本来の黒い首里城を目にすることになる可能性がありますね。