ドラマ『なつぞら』に出演して話題の俳優山田裕貴さんの父が元プロ野球選手の山田和利さんであることは有名ですね。
山田裕貴さんの父親がプロ野球選手ということもあり、プロ野球選手を目指していた時期もあります。
しかしながら結果的に進んだのは俳優の道。
また、山田裕貴さんの父親がカープのコーチをしていることもあり、本人はカープファンなのかと気になる人もいるでしょう。
山田裕貴さんの父と野球にまつわるお話と、本人がカープファンなのかということについて情報をお届け致します!
Contents
山田裕貴の父は元プロ野球選手の山田和利
現役時代の山田和利選手について
山田和利さんの父は元プロ野球選手の山田和利さんです。
愛知県にある東邦高校を卒業し、ドラフト4位でプロ入りしました。
中 日 | 1986年 ~1989年 |
カープ | 1991年 ~1995年 |
カープのイメージが強いですが、入団当時は中日ドラゴンズに入団。
中日からカープに移籍したのは、長嶋清幸さんとのトレードによるもの。
内野ならどこでも守れる俊足のユーティリティープレイヤーでした。
カープでは黄金期を支えたセカンドの正田耕三さんが怪我で抜けた穴を埋める活躍をしました。
1996年にはトレードで古巣の中日に戻るものの、怪我により引退。
実働は6年間と短かったものの、球団に大きく貢献しました。
中日時代:主に30番
カープ時代:主に25番
中日の30番は頻繁に背負う選手が変わるのですが、強打の森野将彦さんがつけていた番号であり、過去には板東英二さんも30番を背負っていました。
カープの25番はレジェンドの新井貴浩さんや、石井琢朗さんが背負っていた偉大な番号です。
引退後の山田和利選手について
引退後は長年中日でコーチに就任しました。
2011年からはカープに移籍し、2019年現在は一軍の内野守備・走塁コーチとして機動力野球を要とするカープを支えています。
山田裕貴と野球について
山田裕貴は幼少期から野球をしていた
今日は『青空エール』完成披露試写会。野球部のみんな。 #青空エール #野球部 pic.twitter.com/AeRW8Q7Lxw
— 山田裕貴 (@00_yuki_Y) July 21, 2016
山田裕貴さんは幼少期からずっと野球を続けていました。
父である山田和利さんに強制されたわけではなく、自分の意志でプレーしていたのです。
小学生の頃から硬式野球のクラブチームに所属しており、中学生でも野球を続けていました。
しかしながら、色々な理由があり中学生で野球をやめることになりました。
山田裕貴が父・山田和利から受けた影響
4歳か5歳の頃、テレビで野球をしている父を見てかっこいいと思うようになったことが野球を始めることになりました。
しかし中学生の時に、父親という壁が常に立ちはだかることや、周りを見渡すと自分では無理なんじゃないかと思うことがあり、野球をやめたのです。
その時に父の山田和利さんから言われた言葉があります。
「野球をやれとは言っていない。ただ、お前がやるって決めたことを何で最後まで続けなかったんだ。」
だからこそ、次にやると決めたことは絶対に最後までやり続けようと思ったそうです。
その次にやると決めたことが俳優の道でした。
昔からテレビやスクリーンに映ることをかっこいいと思っており、またその道なら父を超えられるんじゃないか、という思いで名古屋から上京して俳優の道を目指すことになりました。
山田裕貴の始球式
山田裕貴さんはかつて父がつけていた背番号30のユニフォームを身にまとい、始球式を務めたことがあります。
ノーバンでバッターボックスまで届く見事な投球。
ちなみに、背中の文字は『YAMADA.Y』となっているため特注品だと思われます。
山田裕貴はカープファンなの?
山田和利さんがカープのコーチをしているため、山田裕貴さんはカープファンなのか議題になることはあります。
こんな自分の誕生日の日に
父が在籍しているカープ優勝親父、おめでとう、家族おめでとう
カープおめでとう#広島カープ #広島東洋カープ #優勝— 山田裕貴 (@00_yuki_Y) September 18, 2017
このように公式Twitterでは、カープのリーグ優勝を祝うコメントを発表しています。
とはいえ、ユニフォームを着て球場でスクワット応援をするようなガチのファンではないようです。
まあカープファンと言っても、最近はスタメンの半分も知らない人は大勢いますから、どこからがファンなのかはかなり曖昧なところ。
少なくともカープの優勝を願っているとは言えるでしょう!
まとめ:山田裕貴と父と野球
幼少期は野球を始めるきっかけになり、俳優の道を志すきっかけにもなった父の山田和利さん。
プロ野球選手の息子なのに、と言われることもあり悩んだ時期もあったそうですが、今では父の背中を追い続ける一流の俳優へとなりました。