伊沢拓司(いざわ たくし)さんの両親はどんな人なんでしょうか。
父親は養命酒を製造する会社に勤めていて、母親は新聞会社に勤めていました。
驚くのは、父親の伊沢隆司(いざわ たかし)さんは現在自由な旅人になっているんです。
たまに連絡が来るくらいで消息を掴むのも大変だとか。
ということで、今回は伊沢拓司の父親と母親についてご紹介していきます。
最後の項目では両親の教育法についても取り扱っています。
Contents
伊沢拓司の父親の名前や経歴
名前 | 伊沢隆司 (いざわ たかし) |
生年月日 | 1956年3月 |
学歴 | 早稲田大学教育学部卒 |
伊沢拓司さんの父親の名前は伊沢隆司(いざわ たかし)さんです。
1956年3月生まれなので70歳を目前に控えていますね。
学歴は早稲田大学の教育学部卒。早稲田大学は日本のトップ私学の1つですね。
早稲田大学を卒業された後は養命酒を製造する会社で働かれていました。
薬用酒の大手「養命酒製造」で、主に広報畑を歩んだ元会社員。
引用:産経新聞
「養命酒製造」と聞くと地元の地酒会社に聞こえるかもしれませんが、そうではありません。
- 資本金16億5千万円
- 東証一部上場
- 創業約100年
という大手企業です。
伊沢隆司さんは「養命酒製造」では主に広報に携わり、コピーライターとしても活躍されていました。
いわゆる広告に書く文章やキャッチコピーを考える人ですね。
広告畑においては花形とも言える仕事です。
伊沢隆司さんはすでに養命酒製造を退職されていますが‥
実は消息を掴むのが大変な自由人として生きているようです。
伊沢拓司の父親は消息が掴めない!?

出典:産経新聞
そんな父親は、数年前に会社をやめ、今は「旅人」なのだという。「消息が全然つかめなくて、たまに連絡が来るくらいです」
引用:エンタメウィーク
伊沢拓司さんの父親である伊沢隆司さんは会社をやめて旅人になられています。
2020年4月3日に放送された「ぴったんこかんかん」では父親が旅に出ていることを明かしました。
消息を掴むのも難しく、一方的に連絡が来るくらいだとか。
しかし、全く連絡がとれないわけでもありません。
2020年9月7日に放送される「深イイ話」では伊沢隆司さんの特集が組まれました。
そして、恐らくその姿がテレビ初公開となりました。
伊沢拓司の母親について
伊沢拓司さんの母親は新聞会社でリサーチャーという仕事をしていました。
リサーチャーは「マーケティングリサーチャー」という職種です。
市場のニーズを調査するのですが、単にアンケートをとったりするわけではありません。
リサーチャーは、マーケティング職の一つです。「売れる商品」を創生するためにアンケートなどでデータを収集し、データの分析を行って課題をあぶりだし解決策を構築します。また、競合他社の類似商品のマーケット動向を探って自社の商品開発に活かすなど、業務幅は広くあります。
引用:マーキャリMEDIA
いわばリサーチャーは軍師のような仕事なんですね。
そのため、リサーチャーには論理的思考力が求められます。
両親ともに頭がいいというよりは非常にクレバーであり、伊沢拓司さんのようなクイズ王が生まれるのは自然なことかもしれません。
両親が伊沢拓司を育て上げた育児法がコレ
父のジョーク訓示もそうですけれど、楽しく遊んでいるような感覚で勉強してきたから今の僕がある。次は僕がそんなふうに学びを伝えていけたらって思います
引用:産経新聞
伊沢拓司さんがよく言っているのは「遊んでいるように勉強をした」ということです。
「楽しいを原動力に」など言葉を変えることもありますが、根底には「楽しさ」が存在します。
遊ぶように楽しく勉強ができる環境を作ったのは伊沢拓司さんの両親でもありますね。
では、具体的にどんな育児をしていたのでしょうか。
- 本棚には歴史漫画を並べておく
- ジョーク訓示こと言葉遊び
- 「絶対」はない
の3つをご紹介していきます。
①本棚には歴史漫画がズラリ

出典:集英社
伊沢拓司さんがものごころがついた頃には本棚に歴史漫画がズラッと並んでいたそうです。
父も母も読書が好きで、自宅は歴史小説などの本だらけ。伊沢さんが物心つく頃には日本の歴史の学習漫画が本棚にさりげなく並べられていた。
引用:産経新聞
物心ついたレベルでは歴史小説を読むのは難しいでしょう。ということで選ばれたのは歴史漫画。
小学生の図書館に多く置かれていたと思いますが、スラスラ興味を持って読めたと思います。
そんな環境で育ったので気付いたときには歴史漫画を読んでいたようです。
読まされるのではなく自発的に歴史を学ぶための工夫ですね。
②「絶対はない」
伊沢拓司さんが父親に言われて心に残っている言葉が「絶対はない」ということでした。
サッカー少年の伊沢さんはW杯日韓大会に夢中だった。日本代表がベルギーに失点を喫した場面で「今のは川口(能活(よしかつ))だったら、絶対、止められたよ」と言った伊沢さんを、隆司さんは「絶対という言葉を軽々しく使うな」と叱った。
引用:産経新聞
日韓ワールドカップが行われていたのは2002年5月~のことで、当時の伊沢拓司さんはまだ8歳でした。
8歳にして「絶対という言葉を軽々しく使うな」という教育を施すのはなかなかのものです。
何事にも絶対はなく、物事への決めつけは危険。広い視野を持て-そんな思いのこもった言葉だった。
引用:産経新聞
視野狭窄にならない伊沢拓司さんを作り上げたのは、2002年にかけた言葉だったのかもしれません。
ちなみに、日本 VS ベルギー戦が行われたのは2002年6月4日のことでした。
結果は2-2で引き分けています。
③ジョーク訓示こと「言葉遊び」
父親の伊沢隆司さんは語彙力を高める教育に積極的でした。
幼い伊沢拓司さんが相手でも容赦はしなかったようです。
「難しい言葉や政治ネタが盛り込まれた、子供相手に容赦のないジョークでした。ラジオ番組『ジェットストリーム』のCDを流しながら、『夜の静寂(しじま)の~』と番組の決まり文句を父がまねたとき、『しじま』を知らない僕は小笠原諸島の父島のことかと思って。『なんで父島なの』と父に聞くと、『しじまというのはね…』と教えてくれました。こんなやりとりを通じ、僕の語彙が増えていった気がします」
引用:産経新聞
幼い子どもに大人並みの語彙力を鍛える家庭がどれだけあるでしょうか。
「しじま」という意味は大人でも説明できない人もいるでしょう。
日常生活で使う事は少なく文学的表現で使われることが多いですね。
【例文】
- 夜のしじまを切り裂いた。
- 2人の間に永遠とも思えるしじまがこびりつく。
このように大人でも意味を解説できないような言葉を伊沢拓司さんに教え込んでいました。
もちろん、強引に叩き込むのではなく伊沢拓司さんが自然に興味を持つ方向性に誘導したのでしょう。
こういった教育が柔軟かつ論理的で知性を持った伊沢拓司さんを作り出したんですね。