餅ゴリことJYパークといえば謎なファッションセンスの私服。
その中でも一際ぶっ飛んでいるのが若い頃の「ビニールパンツ」です。
JYPがデビューした時には衝撃的なビニールパンツ姿で登場しました。
JYパークの伝説の1つとしてファンの間では有名な話ですね。今回は、
- JYパークのビニールパンツ姿と裏話
- JYパークの謎ファッションの服
の2点について特集をします。
Contents
JYパークが若い頃のビニールパンツ姿がコレw
こちらが餅ゴリことJYパークのビニールパンツ姿です。
非常に衝撃的で「普段の私服w」とは次元が違うほどハイセンス。
若い頃のJYパークはセクシーさで一斉を風靡したのですが、世間では「黒歴史」と言われています。
1992年に韓国でデビューしたものの、鳴かず飛ばずで再度オーディションを受ける日々が続きます。
苦労を重ねて1994年に再デビューを果たしたJYパーク。
初のデビューステージで選んだ衣装が「ビニールパンツ」なんです。
ちなみに、このシースルーで嵐のデビュー当時を思い出す人も多数続出。
シースルーを着こなせるのは
- JYパーク
- デビュー当時の嵐
の2つしかいないと言われることも(笑)
さて、ビニールパンツをはいてデビューした裏側には面白い話があるのでご紹介します。
なぜ若い頃のJYパークはビニールパンツを履いてたの?
伝説的なJYパークのビニールパンツが生まれた経緯はなんだったのか?
実はJYパークの反骨心からビニールパンツが生まれたんです。
当時(1994年)の韓国のテレビ業界は規則が厳しく、青少年に悪影響を与えるのを防ぐために
- ピアス
- サングラス
- ヘアカラー
- へそ出し
の全てが禁止されていたんですね。
JYパークはこれに反発したんです。
それが理解できずに反発心が高まって、抑えられた感情を噴出したくて(ビニールのズボンを)着ることにした
引用:スポーツソウル
おまけに事前のリハーサルでは普通のズボンをはいていたので関係者は衝撃を受けます。
本番でいきなりビニールパンツをはくとは誰もが予想しないことです。
ステージが終わった後のJYパークはテレビ局の局員から皮肉を言われます。
ビニールのズボンを着たステージを終え、テレビ局の役員に呼び出された。そこで役員は「ジニョン、君は勉強もできたエリートで、ただのタンタラ(芸能人を見下す言葉)ではないだろう…」と言ったという。
引用:スポーツソウル
ビニールパンツでのデビューはケンカを売っていると捉えられたのか、相当馬鹿にされます。
ここでJYパークの反骨心が再燃!
パク・ジニョンは「タンタラ」という言葉があまりにも侮辱的に感じられたそうで、2ndアルバムのタイトルを『タンタラ』にし、「自分自身のことはタンタラと名乗る。ただし、後輩たちはそんな言葉で呼ばれないようにする」と誓ったとのことだ。
引用:スポーツソウル
2ndアルバムのタイトルを「タンタラ」にすることで対抗する石を見せます。
上記の画像がJYパークが発売した2ndアルバムの画像ですね。
さすがに格好は以前のビニールパンツより控えめです。
ちなみに、このビニールパンツ伝説の裏側は
- 韓国のバラエティ番組
- マツコ会議
で語られたことで徐々にファンの間に広まっていきます。
JYパークのビニールパンツが2019年12月に復活w
二度と見れないと思っていたJYパークのビニールパンツが2019年12月に復活します。
2019年12月4日に、JYパークとファサという女性が名古屋ドームに登場します。
歌ったのは「Don’t Leave Me」というJYパークのヒットソング。
それ以上に25年の時を経てビニールパンツが復活したことで大盛りあがり!
ちなみに、こちらが当時のビニールパンツ復活の動画です。
JYパークだけでなくステージ上の他の人もビニールパンツをはいています。
ファンにとって爆笑と歓喜の時間となったことでしょう。
JYパークの謎ファッションの服
①ニットのベストをノースリーブで着こなす
JYパークと言えばニットのベストです。
しかし、着こなし方が普通の人とは全くの別物。
タンクトップの上にベストを着用するのがJYパークのスタンダードです。
一部では「トンチキな私服」として愛されています。
これは変則型のベストの着用です。
タートルネックにベストを着用するちょっと奇抜な組み合わせ。
一部では「オバサン」と言われる着こなしスタイルですね。
②タンクトップの上にセーター
一見普通の着こなしに見えますがそうではありません。
タンクトップの上に網目が粗いスケスケのセーターを着ています。
これもJYパークならではの着こなし。
突飛な格好をしがちなのはかつてのビニールパンツ精神が今も生きているから?