加藤勝信さんの嫁は「加藤周子」さんという方です。
政治家の奥さんは美人説に漏れず美人の方です。
そして、加藤周子さんの家系は華麗なる一族。
父親の加藤六月さんは元農林水産大臣で安倍晋太郎さんの片腕と呼ばれた人なんですね。
ということで、今回は加藤勝信さんの嫁の加藤周子さんと家系について特集をします。
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【家系図つき】加藤勝信の嫁は加藤周子!
こちらが加藤勝信の嫁の加藤周子さんです。
大物政治家の嫁ということもあり、加藤勝信さんと共にどこかを訪れると
本日は加藤勝信さんと奥様の加藤周子さんがいらっしゃいました
と個人ブログに掲載されることも。
加藤周子さんの経歴や学歴などは公になっていません。
しかし、父親や姉を含めた家系が華麗なる一族なんですね。
その家系図がこちらです。
- 父親:大物政治家
- 姉:元内閣官房参与
と政治家一族なんです。
他にも伯父の加藤武徳さんは「元岡山県知事」、親戚の加藤紀文さんは元参議院議員。
どこを見渡しても政治家ばかりというとんでもない家系だったのです。
加藤周子の父親は安倍晋太郎の片腕「加藤六月」
嫁の加藤周子さんの家系でも特筆すべきは、父の加藤六月さんです。
加藤六月さんは元農林水産大臣を務めた大物ですね。
大蔵官僚時代に安倍首相の父・晋太郎氏の片腕で「安倍派四天王」の筆頭格の加藤六月・元農水相に目をかけられ、娘婿となったことだろう。
加藤六月さんはかつて安倍四天王の1人だと言われていました。
ここでいう「安倍」は安倍晋三氏の父親の安倍晋太郎さんです。
安倍晋太郎さんは外務大臣や官房長官を務め、総裁確実と言われていた最中(1991年)に病死されました。
加藤六月さんは安倍晋太郎さんの病死後も政治家として奮闘。
派閥争いの敗退などもありましたが、1999年には勲一等旭日大綬章という勲章を受賞。
2006年に亡くなられましたが、その時の葬儀委員長は安倍晋三さんでした。
加藤勝信は加藤家に婿入していた!?
①婿入りしたのは政界進出のため?
勘のいい方はすでに気づかれているかと思います。
加藤の姓は嫁の加藤周子さんの姓です。
つまり加藤勝信さんは婿入りしていたんですね。
加藤周子さんの父親が大物であり、小学校の頃は「国連の事務総長になりたい」と作文に書いていたほど。
政治会の巨塔を登り詰めるために婿入りしたのでしょうか。
②加藤勝信と嫁の馴れ初めに一波乱あり
加藤勝信さんが最初に婚約していたのは加藤周子さんではありません。
周子さんの姉の加藤康子さんと婚約をしていました。
しかし、ある時に大げんかを繰り広げてしまいます。
意気盛んな大蔵官僚だった勝信君が『この国を動かしているのは官僚だ』と言ったらしい。康子ちゃんも父親思いで勝ち気な性格だから、『何を言ってるの。お父さんたち政治家が国を動かしているのよ』と言い返して衝突してしまった。
当時の加藤勝信さんは大蔵省(現在の財務省)の官僚でした。
プライドを持って仕事にあたっていたのでしょう。
それに対して康子さんの父親は政治家なので、意見が衝突するのもやむなし。
婚約の話は無くなってしまい、これには加藤六月さんも唖然としてしまいます。
しかし、最終的には康子さんの妹である加藤周子さんと結婚をしたんです。
康子さんに確認すると「話としては面白いですが、記憶にありません」と回答した。
ちなみに、NEWS POSTSEVENの記者が加藤康子さんに取材をすると「記憶にない」と回答しました。
否定はしなかったので実話かも?
加藤勝信と加藤周子には娘が4人いる?
加藤勝信さんには娘が4人いらっしゃいます。
華麗なる加藤家ですが今の所政治家を目指したりはしていないようです。
家では普通のお父さんのようで娘たちとの接し方に苦労する場面があるとか。
一番上の子が中学校に入って反抗期になったときは全然喋らないし、びっくりしました。(中略)ところが、4人目は反抗期がなくて。「何でないんだ?」と本人に聞いたら、「上の姿を見て、ああいうことはしたくないと思った」と言っていて、やっぱり下の子は上をロールモデルにして親との距離感を学んでいくんだなと感心しました。
引用:ENTAME next
上の娘は反抗期が強かったようです。
「お父さんと一緒に洗濯しないで」と直接言われなかったものの、3人目までは反抗期が来ていたんですね。
しかし、末っ子だけは反抗期が来ませんでした。
上の3人の反抗期が強かったからなのか、父である勝信さんとの関係はかなり良好なようです。
表では政治家のイメージしか無い加藤勝信さんも、家ではしっかりお父さんをしていました。