二千翔(にちか)さんは明石家さんまさんの息子として有名です。
娘のIMALUさんの知名度が高く影に隠れがちですが、二千翔さんが兄でIMALUさんが妹です。
明石家さんまさんの前妻は大竹しのぶさんですが、二千翔さんと明石家さんまさんには血の繋がりはありません。
血が繋がった父親は服部晴治(はっとりせいじ)さんという元TBSのプロデューサーです。
ということで、今回は二千翔さんの父親の服部晴治さんについて特集をします。
Contents
二千翔の「血が繋がった父親」は服部晴治
二千翔さんの血の繋がった(本当の)父親は明石家さんまさんではありません。
大竹しのぶさんの元旦那である服部晴治(はっとりせいじ)さんという元TBSのプロデューサーです。
二千翔さんが生まれたのは1985年で、生まれてすぐに服部晴治さんはガンで亡くなりました。
つまり、二千翔さんの記憶の中に服部晴治さんはほとんど存在していないんですね。
1982年 | 大竹しのぶと 服部晴治が結婚 |
1985年 | 二千翔 誕生 |
1987年 | 服部晴治が ガンで死去 |
1988年 | 明石家さんまと 大竹しのぶが結婚 |
1992年 | 明石家さんまと 大竹しのぶが離婚 |
なので、二千翔さんが3歳を迎える前に服部晴治さんは亡くなられているんですね。
そして、明石家さんまが義理の父親として同じ家で過ごしていた期間は僅か4年でした。
明石家さんまさんと大竹しのぶさんが離婚したあと、親権は大竹しのぶさんに渡っています。
さて、では服部晴治さんとは一体何者なのでしょうか。
二千翔の父親「服部晴治」は元TBSのプロデューサー
①服部晴治のプロフィール
名前 | 服部 晴治 (はっとり せいじ) |
生年月日 | 1940年? |
享年 | 47歳(1987年) |
職業 | プロデューサー ディレクター |
服部晴治さんは元TBSのプロデューサーでありディレクターです。
大竹しのぶさんとの出会いは「恋人たち」という1980年に放送されたドラマだと言われています。
制作側の服部晴治さん、出演側の大竹しのぶさんという出会いは自然です。
- バツ2で子供が3人いた
- 相当モテる
という話があり、プレイボーイだった服部晴治さんに大竹しのぶさんは惹かれたのかもしれません。
1982年には結婚して、1985年には二千翔さんが誕生するものの、ガンを患って1987年に亡くなりました。
ちなみに、大竹しのぶさんとの出会いのキッカケとなった1980年に放送された「恋人たち」はこちらです。
「恋人たち」では服部晴治さんは演出として参加されていました。
②大竹しのぶとは略奪婚だった?
服部晴治さんには同棲をしていた女性がいたと言われています。
それが歌手であり女優の中村晃子(なかむら あきこ)さんです。
すでに婚約をしており、結婚も間近と言われていました。
そこに突如現れた大竹しのぶさん。
当時、中村は「2人のキスを見たときは悔しさ、憎しみを感じました。彼に『見てしまってごめんなさい』と言うと『見られたのなら仕方がない』と部屋を出ていきました。半年後に結婚する予定でしたが、大竹さん、彼をあげます」と赤裸々告白。
引用:smart FLASH
そのため大竹しのぶさんと服部晴治さんの結婚は略奪婚と言われ、大竹しのぶさんは「ドロボウ猫」と言われたことも‥
二千翔と明石家さんまの「関係や仲」が気になる
①明石家さんまは義理の父親だけど…
明石家さんまさんは、書面上では義理の父親です。
共に家で過ごした期間もたった4年程度で、3歳~7歳の頃の話なんですね。
当時の記憶はほとんど残っていないと言えるでしょう。
- 同居人という印象だった
- いつの間にかいなくなった
という程度の印象だったと二千翔さんは語ります。
しかし、大竹しのぶさんと明石家さんまさんが離婚したあとも、二千翔さんと明石家さんまさんの関係は続いていました。
大人になった時でも仲良く良好な関係を築いているとのことですが‥
②明石家さんまとの仲は良好!
二千翔さんと明石家さんまさんの仲は良好です。
こちらの写真は2020年の明石家さんまさんの誕生日会の写真です。
画像のコーヒーメーカーは二千翔さんが明石家さんまさんに用意したものです。
大竹しのぶさんも誕生日会には参加しており、離婚後も仲は悪くないんですね。
二千翔の3人目の父親?が野田秀樹
大竹しのぶさんは野田秀樹さんという演出家の方と事実婚をしていた時期があります。
二千翔さんにとっては3人目の父親と言えなくもない存在です。
1993年~1998年の約5年間程度を一緒に過ごしたのですが‥
二千翔さんは野田秀樹さんについても語ったことがあります。
- 同居してたことは知らなかった
- よく家に来る人だな、という印象だった
- いつの間にかいなくなった
8歳~13歳頃の二千翔さんにとっては「よく家に来る人」という印象だったそうです。
父親がころころ変わっていく中で、今でも交流がある明石家さんまさんは特別な存在なのでしょう。