キングコング西野亮廣さんのマネージャーは田村有樹子(たむら ゆきこ)さんという方です。
マネージャーと言っても西野亮廣さんの右腕のような存在で、
- AD
- 代表取締役
- 番組のプロデューサー
- スナックのママ
など異色の経歴を持っているんですね。
ということで、今回は田村有樹子さんの経歴について特集をします。
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田村有樹子のWiki経歴とプロフィール
名前 | 田村 有樹子 (たむら ゆきこ) |
生年月日 | 1980年7月24日 |
学歴 | 同志社大学 卒 |
出身 | 京都府京都市 |
田村有樹子さんは京都市に生まれ2004年3月に同志社大学を卒業されました。
同志社大学は西日本ではトップの私立大学で、京都市内にある一流の大学ですね。
卒業まではずっと京都で生活されていたようです。
2004年4月~2005年8月まで「オフィス・トゥー・ワン」という会社に勤務しています。
オフィス・トゥー・ワンはテレビ制作やタレントのマネジメントを行う会社ですね。しかし、
働き足りない!
と不満が出たことで自身で会社を立ち上げてテレビの制作に携わります。
24歳で代表取締役として数々の企画を手掛け、「ガリゲル」というバラエティ番組を通じて西野亮廣さんと出会いました。
仕事は順調だったものの、35歳の時にストレスが溜まりすぎて人生を見直そうと思い‥

出典:櫛野展正のnote
36歳の転職先はスナックのママでした。ママとして順調に
何かが違う
と感じてスナックをママをやめることに。
その後は、西野亮廣さんのマネージャー兼右腕として現在に至ります。
田村有樹子の経歴の詳細~大学卒業から現在まで~
先程ざっくり紹介した田村有樹子さんの経歴を詳しくご紹介していきます
①同志社大学時代
奈良県の高校に通っていた田村有樹子さん。
勉強はやる気がなかったものの、テニスに打ち込み奈良県で3位になるほどの実力を持っていました。
そのときは『テニスがあれば良い』って心境でしたね。勉強は全然やる気がなくて、気づいたら学年で下から3番目ぐらいの落ちこぼれになってて。
引用:櫛野展正のnote
そのせいか現役で大学には合格できず、田村有樹子さんは一浪して同志社大学に入学します。
そして、同志社大学でもテニスにのめり込んでいました。
ここでもテニスに青春を捧げ、「寝てても単位が取れる授業しか選んでなくて、友だちに『代返』を頼みまくってました。卒論が要らないゼミを選んでたから、卒論も書いていないんです」と話す。
引用:櫛野展正のnote
友達に代理出席を頼んでいたり、強かに大学生活を過ごしていたんですね。
そのかいもあってか、テニスにハマりながらも浪人せずに同志社大学を卒業できました。
②オフィス・トゥー・ワンのAD時代
田村有樹子さんが選んだ就職先はテレビ業界でした。
テレビ業界の中でも「オフィス・トゥー・ワン」というテレビ制作やタレントのマネジメントを手掛ける会社を選んでいます。
「若いときは性格が負けず嫌い過ぎたので、他の人が営業で3本仕事を取ってきたら、私は身体を売ってでも5本取りたいと思うタイプだったから。まぁ売れるかどうか、実際に差し出すかどうかは別として。そのまま営業をやったら、結果を出すかもしれないけど排他的過ぎて寂しい人生になるんじゃないかなと思って、チームで出来る仕事として浮かんだのがテレビ業界だったんです」
引用:櫛野展正のnote
単独プレイで仕事をすると寂しい人生になりそう
ということで、チームでできる仕事としてテレビ業界を選んだんですね。
そして、就職を機に田村有樹子さんは上京します。
テレビ東京系列で2004年4月からゴールデンタイムに放送されていた人気番組『所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝』のADを担当。
引用:櫛野展正のnote
就職後すぐに大物の番組のADを担当されます。
相当やる気があったのか週に150時間も働き、労働基準法の枠組みを軽く突破しました。
週に150時間は1日に21時間も働いている計算になります。(休みを0日で計算)
1日2時間程度しか寝ていないような生活を送っていたんですね。
「もっと働きたいのに労働基準法ってなんなん?そんなんでやる気潰されるんやったら辞めるわ」と24歳のADが独立し、仲間と共に映像制作会社を立ち上げ、プロデューサーと名乗り出す。
引用:櫛野展正のnote
もっと働きたい!
という思いが強くオフィス・トゥー・ワンを1年4ヶ月で退職し、仲間と共に独立しました。
ちなみに、田村有樹子さんがADを担当した「所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝」は退職した翌月に放送終了しています。
③プロデューサー時代
24歳にして仲間と共に独立を果たした田村有樹子さん。
プロデューサー兼代表取締役としてバリバリ活躍されていました。
2014年には「ガリゲル」というバラエティ番組に携わり、MCの西野亮廣さんと知り合うことに。
順調に経営者としてキャリアを積まれていたのですが‥
「仕事は順調だったんですけど、私は社員の給料や体調を気にしすぎる面があって、人のことばかり考えて生きていかなあかんのは嫌やと思って、30代前半で会社を辞めたくなったんです」
引用:櫛野展正のnote
30代前半で会社をやめたくなり、ストレスで円形脱毛症を発症してしまいます。
その結果35歳で会社をやめることを決断。
④スナックのママ時代

出典:櫛野展正のnote
会社をやめた田村有樹子さんが次に選んだ働き方はスナックのママです。
昔から芸人や経営者仲間から言われていた「田村さんはスナックのママに向いている」という言葉を思い出し、「人から何かに向いているって言われることなんて、いままで生きててなかったから」と、六本木のバーで雇われママとして働き始めた。
引用:櫛野展正のnote
テレビ業界から一転、スナックのママという全く違う業種に飛び込みました。
この選択で得たものは多く、
- お金の正体
- 助成に対する苦手意識の克服
など今後の人生の糧のようなものを手にすることができました。
そんな田村有樹子さんはスナックのママを飛び出して様々な活動を行います。
⑤社会活動&西野亮廣のマネージャー
田村有樹子さんのエピソードとして有名なのが「リベンジ成人式」です。
全国各地で成人式が行われた2018年1月8日に「はれのひ株式会社」が突然閉鎖して、成人式に振袖を着られない成人が続出することが分かると、西野亮廣さんに相談し、同年2月4日に新成人数百名を対象にヘアメイクや着付け、振袖を提供し、そのうえ船上ディナーまでプレゼントするという豪華な「リベンジ成人式」を企画開催した。
引用:櫛野展正のnote
全国ニュースにもなった「はれのひ事件」では、振り袖を着られない成人が続出しました。
そんな時に田村有樹子さんと西野亮廣さんが協力して「リベンジ成人式」を行ったんですね。
それがキッカケとなり、2018年7月にスナックのママを退職し西野亮廣さんのマネージャーとなりました。
その後も豪雨災害の支援にも出向くなど、起業家のような活動を続けています。
田村有樹子のサロンが大人気!?

出典:田村Pのここだけの話
西野亮廣さんといえばオンラインサロンが人気ですが‥
田村有樹子さんも「田村Pのココだけの話」というオンラインサロンを主催しています。
マネージャーのオンラインサロンに人が集まるの?
と侮ることなかれ。実は大人気のオンラインサロンなんです。
有料オンラインサロン『人気ランキングTOP10』(2019年下半期)では箕輪編集室を抑える快挙!
(7位が田村さんのオンラインサロン、8位が箕輪編集室)
マネージャーでありながら大物の箕輪厚介さんを上回ったんですね。