JOCの会長である橋本聖子さんの夫は元警察官です。
警視庁に勤める警察官で、結婚当時は巡査部長でした。
ただの警察官ではなくある人のSPも務めたことがあるすごい人です。
では、橋本聖子と夫の馴れ初めはなんでしょう?
結婚当時はSPがつくほどの議員ではなかった橋本聖子さんは、夫とどうやって知り合ったのか?
ということで、今回は橋本聖子さんの夫について特集をします。
Contents
橋本聖子の夫は元警察官の石崎勝彦さん
名前 | 石崎 勝彦 (いしざき かつひこ) |
生年月日 | 1955年頃 |
職業 | 元 警察官 |
橋本聖子さんの夫は9歳年上の石崎勝彦(いしざきかつひこ)さんという方で、元警察官です。
年齢は2021年現在は60代半ばです。
警視庁の管轄は東京で、
- 多くの刑事ドラマ
- 名探偵コナン
でもよく出てくる警察ですね。
警察官の定年は60歳と決まっているので退職されています。
ただ、再就職をしたり公益法人に転職することが多いので、まだ働いている可能性も高そうですね。
①結婚当時は巡査部長
1998年に結婚したときの夫は40代前半でした。
当時の階級は巡査部長です。
巡査部長といえばこち亀の大原部長と同じ役職ですね。
ただし、交番のおまわりさんではなく警視庁警備部警護課所属の巡査部長でした。
警護課、つまりSPのことです。
②あの人のSPもしていた!
夫の石崎勝彦さんは当時SPだったんですね。
SPはドラマにもなったので仕事の知名度は一気に向上しましたね。
島村農林大臣のSPもしていたんです。
島村宜伸さんが農林大臣だった期間は
- 1997年9月26日 – 1998年7月30日
- 2004年9月27日 – 2005年8月8日
です。夫の島村農林大臣のSPを①(結婚の時期)でしょう。
③橋本聖子の夫は元妻と死別していた!?
橋本聖子さんの夫には3人の連れ子がいたんです。
ただし、夫は離婚をしたわけではなく妻と死別していたとのこと。
妻と死別した後に橋本聖子さんと出会って結婚されたんですね。
橋本聖子と夫の馴れ初めは「島村農林大臣」
橋本聖子さんと夫の馴れ初めは島村農林大臣です。
さて、夫は島村農林大臣のSPをしていました。
橋本聖子さんと島村農林大臣には深い関係があります。
主人は警視庁に勤める警察官で、私が常々お世話になっている島村農林大臣(当時)のSP(セキュリティポリス)をしていたことから、自然にお付き合いをするようになりました。
SPをしていた時期を考えると1~2年の交際で結婚に至ったようですね。
橋本聖子が夫に惹かれた理由
橋本聖子さんは島村農林大臣を通じて夫と出会いました。
では、なぜ夫に惹かれたのでしょうか。
当時の橋本聖子さんは1996年のアトランタ五輪に出場しましたが‥
国会議員をしながらの出場となり、苦労は想像を超えて心が折れかけていたんです。
政界からは「練習もしていない人が勝てるほど自転車界はレベルが低いのか」と言われ、スポーツ界からは「これだけの記録を出せるなんて、政界は仕事をしなくていいところなのか」と言われました。二足のわらじは両方の力になると信じていたのに、どちらの世界も傷つけていたのかと思うと、私自身も傷ついて、何かに負けたのです。
政界からの心無い言葉が橋本聖子さんを襲います。
議員を辞めてアスリートと陶芸をして暮らしていければ、楽になるかとも考えていました。
あの頃、何かに襲われる夢をよく見ました。オリンピック選手時代も、本番で転ぶシーンを夢に見て恐れたりしたものですが、それよりずっと恐ろしいものでした。夜中にうなされ、助けを求めて北海道の姉に電話をしたことも、1度や2度ではありません。心配した母が、病弱な体をおして上京してきたこともありました。
精神状態は悪化していく一方で完全に自信を喪失していました。
そんな時に夫と出会ったんですね。
主人にだけは不思議とどんな悩みでも打ち明けることができたのです。おかげで、精神状態もどんどんいい方向へ向かいました。そんな私のようすを知っていたので、家族も結婚には大賛成でした。
夫は10歳年上で兄のように感じられ、橋本聖子さんはどん底の時期に支えられたんです。
そして家族も大賛成される中で結婚をしたんですね。
「病気やケガの経験から、福祉を志して政治家の道を選んだという原点を考えれば、それは家庭に入っても同じだと思う。困っている人を見たら、絶対にその人に何かをしてあげたいと思うだろう。そういう人間の性質というのは一生変わらないのだから、力を尽くせる立場で、その気持ちを生かす方がいい。その方が必ず君のためになるから、政治家をやり続けるべきだと思う。警察官という立場上、表立った応援は無理だけど、精神面での応援はできるから」と言ってくれたのです。
結婚してから20年以上が経過しましたが、夫の支えがあって橋本聖子さんは政治家として走り続けることができました。