眞子さまの【パコ様ロイヤルポテチ事件】とはw

大谷翔平の父親の野球経歴もヤバい!エースで4番⇒実業団で主力級!

大谷翔平の父親

大谷翔平さんの父親は元野球選手です。

プロではありませんが、高校では甲子園を目指して汗を流し、24歳まで実業団で野球をプレー。

引退後も少年野球の監督をされていました。

大谷翔平さんは2世選手と言えますね。

中学ではエースで4番だった父親はどんな野球人生を送っていたのでしょうか?

今回は、大谷翔平さんの父親の野球人生について特集をします。

大谷翔平の父親の野球人生を簡単に

大谷翔平の父親

名前 大谷徹
生年月日 1962年
身長 182cm

大谷翔平選手の父親は大谷徹さんという元実業団野球部の野球選手です。

身長や野球のセンスは父親譲りかもしれません。(母親はバトミントン選手)

徹さんの野球経歴を以下の通りご紹介します。

中学2年生から野球(エースで4番)

高校で甲子園を目指す(外野手に転向)

三菱重工横浜で主力級の活躍

24歳でクビを言い渡され野球部を引退

岩手県に移住し少年野球の監督に

高校を卒業後は三菱重工横浜の野球部で活躍したものの、25歳で引退を決意。

現在も少年野球の監督をしています。

では、徹さんの野球人生について中学時代から振り返っていきましょう。

大谷翔平の野球人生を時系列で

中学時代

野球

父親の徹さんは、中学2年生から野球部に入ります

中学1年生の時点では、坊主になるのが嫌で陸上部に入部していました。

100m走、走高跳、砲丸投げで県大会に入賞するほどで、陸上部で結果を出したのですが、野球で他と差がつくことに危機感を覚えて野球部に中途入部したんです。

坊主になるのもやむなしでしょうか。

徹さんは転入した野球部でも頭角を現し、部のエースで4番という最高のポジションにつきました。

高校時代

大谷翔平の父親の高校

父親の徹さんは岩手県立黒沢尻工業高等学校に進学します。

野球部は強豪校で、徹さんは甲子園の出場を目指して同校へ進学。

当初はピッチャーでしたが、内野手⇒外野手にコンバートされます。

どうやらもっと強いピッチャーがいたようですね。

「ピッチャーは1年生のときにダメだと。クビですね(笑い)。内野もちょこっとやらせてもらいましたけど、すぐに外野手になりました」

引用:日刊ゲンダイ

また、足にも自信があったので右打ちから左打ちに変更。

左打ちだとベースの右側に立てるので、出塁しやすくなります。

右投げ右打ちだった徹は足に自信があったし、野手で生きていくためにも有利と思う左打ちに変えた。高校1年から2年にかけてのことだ。

引用:日刊ゲンダイ

甲子園

しかし、徹さんが甲子園の土を踏むことはありませんでした

  • 1年:県大会の決勝で敗退
  • 2年:初戦敗退
  • 3年:初戦敗退

そして、3年生の地区大会で敗退した時に燃え尽きてしまったんです。ちなみに、最後の対戦相手は1年生の決勝で敗れた盛岡一高です。

すでに決まっていた千葉の製鉄会社への内定も蹴ってしまいました。

野球のことはしばらく、考えたくなかった。情熱を注いだ分、反動は大きかった。内定していた千葉の製鉄会社への就職も断った。

引用:日刊ゲンダイ

野球人生が終わってしまうレベルの出来事ですが、数ヶ月が経つと徹さんの野球熱が再燃します。

 

進路が白紙になっていたので、今後のことを監督に相談したものの、大学にだけは進学したくありませんでした。

当時の大学野球は体罰アリで超絶厳しかったからですね。

東京と神奈川の2つの私大ならという話だったんですが、大学は上下関係が厳しいし、殴られるのは嫌だとずっと思っていたんです。

引用:日刊ゲンダイ

となると、就職の道しかありません。運良く三菱重工横浜に高校の先輩がいたので、ツテを辿ってセレクションを受けることになりました。

そしてセレクションに合格して三菱重工横浜に就職して野球を続けることが決まります

 

社会人時代

大谷翔平の父親

父親の徹さんが就職した三菱重工横浜は実業団の中でも実力があるチームです。

三菱重工横浜は第3代表を争うレベルのチームだった。

引用:日刊ゲンダイ

初年度でいきなり肩を壊したものの、隔年ではあるものの主力に近いところでプレーをしていました。

実業団でもトップに近いところで活躍して、24歳の時に

来季はキャプテンとして頑張っていく!

と意気込んでいた矢先に、監督にクビを宣言されてしまいます

監督は鼓舞する目的で「それでも続けたい!」と言ったらクビにしないつもりですが、徹さんはクビ宣告を受け入れます。

徹さんの野球人生は25歳で一度幕をおろしたのです。

結婚を考えていたことも理由の1つですが、監督の一言で心が折れてしまいました。

大谷翔平の父親の野球選手引退後の人生

大谷翔平の父親

野球選手を引退した徹さんは、三菱重工横浜のグループ企業でシステム関係の仕事を本格的に始めます

プログラムを書いたり、慣れない仕事が一気に振りかかってきます。

ちなみに、野球部時代は午前中に簡単な仕事をするだけした。

野球部にいたときは勤務も午前中だけ。ワープロ打ちとコピー取りといった仕事が主だった

引用:日刊ゲンダイ

徹さんは元々野球をするために横浜にきたので、野球を引退したら岩手に帰りたいという気持ちが強くなってきます。

そのため、とある自動車のボディーメーカー(のちにトヨタ自動車東日本に統合される)への転職を決めました

岩手県に工場を作るために、メーカーが従業員を募集していたんです。しかも数年後に岩手に帰れる条件付き。

新たな職場は超激務でしたが、家族揃って岩手県に移り住むことになりました。